移行方式は3つ。選択を決めるのは「止められる時間」
移行方式の議論は、システムの都合ではなく操業の都合から始めるべきものです。判断の起点は1つ、「ラインを何時間止められるか」です。
| 方式 | 概要 | 必要な停止時間 | 向く条件 | 主なリスク |
|---|---|---|---|---|
| ビッグバン | 全ラインを一斉に切り替える | 長期連休など、まとまった停止が必要 | 単一工場、工程が少ない、連休が確保できる | 切り戻しの判断期限が短い。問題が全ラインで同時に出る |
| 並行稼働 | 一定期間、旧システムとMESの両方に入力する | ほぼ不要 | 止められない、記録の欠落が許されない | 現場の負荷が2倍。長引くと形骸化する |
| 段階移行 | ライン単位・工程単位で順に切り替える | ライン単位で短時間 | 複数ライン、多工程、拠点が複数 | 移行期間中は新旧が混在。境界の設計が必要 |
実務では段階移行が最も多く選ばれます。ただし段階移行には固有の設計課題があります。旧システムで実績を持つ工程と、MESで実績を持つ工程が同時に存在するため、工程間の受け渡しをどう成立させるかを決めなければなりません。具体的には、旧システムの仕掛データをMESが読むのか、境界工程で人間が転記するのか、境界の在庫だけ日次でバッチ連携するのか、の3択です。この設計を後回しにすると、移行の初日に物が流れなくなります。
並行稼働を選ぶ場合、期間は最長でも1か月に区切ってください。それ以上続けると、現場は片方の入力を省き始めます。省かれるのは新しいほう、つまりMES側です。並行稼働は「安全策」ではなく「二重入力という負荷を現場に課す期限付きの措置」だと位置づけ、終了条件を先に決めておく必要があります。
過去データはどこまで持ってくるか
移行計画で最も揉めるのが、過去データの範囲です。現場からは「全部見られるようにしてほしい」という要望が出ますが、これを受けると移行の工数とリスクが跳ね上がります。判断は次の3つに分けて行ってください。
① マスタ(品目・工程・設備・作業者):稼働時点で実際に使うものだけを移行します。休止品目まで移すと検証工数がそのまま増えます。判断基準は「直近12か月に生産実績があるか」です。
② 仕掛(WIP):切り替え時点で工程内にある物です。これは必ず移行が必要で、しかもカットオーバー当日の作業になります。数量だけでなく、どの工程まで完了しているか、どの材料ロットを使ったかまで持たせる必要があります。この移行作業を減らすには、切り替え日に工程内の仕掛を可能なかぎり払い出しておくのが定石です。連休前に仕掛を減らす、という段取りは移行計画の一部です。
③ 過去の実績データ:ここが判断の分かれ目です。原則として、新MESには移行せず、旧システムを参照専用で残すほうが安全です。理由は3つあります。
- 旧システムと新MESではデータモデルが違うため、変換の過程で意味が変わる。トレース記録としての証拠力が落ちる
- 移行した過去データは、新MESの機能(例:新しい不良コード体系での集計)では正しく扱えない
- 検証工数が膨大になる。数年分の実績を全件検証することは、現実には行われない
ただし、規制や顧客要求で製品寿命の期間だけ記録の保持と提示が求められる場合は、旧システムを参照可能な状態で維持する計画が必要です。サーバのハードウェア寿命とOSのサポート期限を考えると、「旧システムをそのまま10年動かす」は成立しません。実務的な解は、実績データを人が読める形式(PDF、CSV)で書き出してアーカイブし、旧システムは停止することです。この形式と保存先を、移行計画に明記してください。
カットオーバー当日に何が起きるか
切り替え当日は、システムの作業と操業の作業が同時に走ります。時間割を事前に分単位で作り、関係者全員に配ってください。典型的な段取りは次のようになります。
- 前日まで:仕掛の払い出し、マスタの最終同期、現場端末の設置と動作確認、切り戻し手順の最終確認
- 停止直前:旧システムでの実績入力を締め切る時刻を明示。この時刻以降の作業は紙に記録する
- データ移行:マスタと仕掛の投入、件数の突合。突合が合わない場合の判断者と判断期限をあらかじめ決めておく
- 検証:実際の指図を1件流し、実績登録から帳票出力まで通す。ここまでが「稼働可否」の判断ポイント
- 稼働開始:紙に記録していた分をMESへ入力し、通常運用へ
- 稼働当日〜3日間:現場に支援要員を張り付ける。夜勤帯を含める
3番と4番のあいだに、明確な判断ポイントを置くことが最も重要です。ここを設けずに進むと、問題が出たときに「もう戻れない」状態で稼働することになります。切り戻しの判断期限は、逆算して決めます。旧システムを再開するのに2時間かかるなら、稼働開始予定時刻の2時間前が判断期限です。
支援要員の配置で見落とされるのが夜勤帯です。稼働初日の日勤帯は関係者が全員そろっていますが、その日の夜勤は手薄になりがちです。実際、稼働後のトラブルが最初に深刻化するのは、支援要員が帰った後の夜勤帯です。交替勤務のある工場では、少なくとも最初の1週間は全直に支援要員を置いてください。
旧システムをいつ落とすか
移行プロジェクトが「終わらない」原因の多くは、旧システムを止める条件が決まっていないことにあります。停止条件は、稼働の前に文書化しておくべきものです。実務的には、次の4条件をすべて満たしたときに停止する、という形にします。
- 新MESで、月次の締め処理が2回連続で問題なく完了した(月次処理は月に1度しか検証機会がない)
- 旧システムでしか参照できないデータの、アーカイブ出力が完了し、その内容が検証されている
- 旧システムに接続している他システム(会計、ERP、顧客EDI)の切り替えが完了している
- 停止後に旧データの参照が必要になった場合の手順が、文書化され担当が決まっている
1番の「月次締めを2回」は、実装経験上、省略すると高くつく条件です。日次の運用は稼働直後から検証されますが、月末月初にしか動かない処理は、稼働から1か月以上経たないと検証されません。旧システムの停止を、稼働から2か月以上あとに設定するのはこのためです。
旧システムを止めることで、ハードウェアの保守費、OSとデータベースのライセンス、そして担当者の維持工数が削減されます。この削減額は投資回収の計算に含まれているはずですから、停止しないかぎり計画した効果は出ません。MESのROIの試算に旧システムの廃止効果を入れている場合は、停止時期そのものが計画の一部です。
移行を機に、やっておくべきこと
システムの乗せ替えは、それ自体では価値を生みません。同じ運用を新しいシステムで続けるだけなら、投資は保守費の置き換えに終わります。移行のタイミングでしかできないことが3つあります。
- コード体系の見直し。 品目コード、不良コード、設備コードの体系は、稼働後には変更できません。旧体系に不満があるなら、移行時が唯一の変更機会です。マスタ設計と不良コード体系の設計判断をここで済ませてください
- 使われていない帳票の廃止。 旧システムの帳票を全部移植する計画は、たいてい過剰です。直近1年の出力実績を調べると、半数以上が出力されていないことが珍しくありません。移植対象を出力実績で絞ってください
- 紙で残っている記録の棚卸し。 Excel管理の限界で扱うとおり、旧システムの外側にはたいてい紙とExcelの運用が残っています。これを可視化しないまま移行すると、新MESの外側に同じ運用が残ります
3つとも、移行の作業量を増やす方向に働きます。だからこそ、移行計画の初期に判断を済ませ、スコープとして確定させる必要があります。カットオーバーが近づいてから提案しても、時間切れで見送られます。
よくある質問
旧システムのベンダーが協力してくれません。データを取り出せますか?
契約と技術の両面から確認してください。契約面では、保守契約にデータ抽出の支援が含まれているかを確認します。含まれていない場合、有償作業として見積を取ることになります。技術面では、データベースへの直接アクセスが可能かが分かれ目です。可能ならテーブル定義さえ判明すれば抽出できます。不可能な場合は、画面からのCSV出力や帳票のPDF化で代替することになり、粒度は落ちます。次の契約では、データ可搬性の条項を必ず確認してください。
移行のテストはどこまでやるべきですか?
最低限、①マスタと仕掛の投入を本番と同じ手順で2回以上リハーサルする、②切り戻し手順を1回実際に実行する、の2つです。特に2番は省略されがちですが、切り戻しは「できるはず」ではなく「やったことがある」状態にしておく必要があります。リハーサルは、本番と同じ時間帯・同じ担当者で行ってください。日中に情報システム部門だけで行ったリハーサルは、当日の再現になりません。
移行期間中、実績データが新旧に分かれてしまいます。集計はどうすればよいですか?
移行期間中の全社集計は、MESでもなく旧システムでもない場所(BIツールや表計算)で行うのが現実的です。両方のデータを同じ粒度に加工して突き合わせることになるため、移行計画の一部として集計手順を作り、担当を決めてください。この作業を誰にも割り当てないまま移行に入ると、経営会議に出す数字を毎月誰かが手作業で作る状態が常態化し、それが数年続くことがあります。
